危険なアルジェリア旅行 その1

私は2013の夏頃にアルジェリアの首都、アルジェーへ旅行に行きました。

この国はフランス植民地解放後、10数年前の内戦を経てなお現在も情勢の不安定さから自由に行き来出来る国ではありません。
日本のニュースでこの国が話題に挙がったのは2年くらい前?に起こった日揮石油プラント襲撃事件の事ぐらいではないでしょうか。
多くの外国人、そして邦人も何人か殺られて生き残りも誘拐されてチュニジアに連れ去られてしまっていますね。

 

最初はちょっとビクビクして行った私ですが旅行後の感想は予想外のものでした。
果たして私はこのアルジェリア旅行から生還する事が出来たのでしょ~か!?

 

 
アルジェリアは北アフリカに位置するアラブの国。
チュニジアは比較的オープンな国なので国民は被り物をしない人も多いしお酒を飲む人も多く、ヨーロッパ人の観光客や黒人の外国人移民が割りと多くいましたがアルジェリアに来た途端、もうそれはアラブ中のアラブ。
フランス宗主国への敵意、内戦等で外国っ気の混じりが無い為、かなりアラブな国。

 
私はアルジェリアエアーでお昼の17時頃チュニスから発ち、夜の8時頃にアルジェーに到着しました。
往復でだいたい2万円程度。1時間半程度で着きます。

 
到着初日の夜8時から空港を出るのは危険かもなので空港泊した後、5日ほどアルジェーおよびアルジェー郊外のシェラガという町でぶらついてました。だいたい1週間程度の旅行。

 
アルジェリア入国にはビザが必要です。
今回の旅行にあたってのビザ取得はこちらのアルジェリア入国ビザを取った時の話を参照。

 
さて、本題。

 
出発当日、起床しウキウキ気分で机の上の印刷した航空プランの紙を手に取る・・・
あれ、なんか黒豆が乗っかってる?メガネをしてない為、紙に顔を近づけて見ると、穴があいたゴキブリの卵と大量の生まれたてのゴキブリが紙の全面を右往左往してるじゃありませんか!!!

「でーーーーーっ!!!!!」
と思わず叫んで紙を窓からぶん投げて机の上に落ちたゴキ卵とゴキブリをトイレットペーパーで捕獲してトイレに流す。
はーっ・・・と一息ついた時、窓から投げ捨てた紙はパスポート番号等が記載されたそもそも重要な紙だったことを思い出し、また叫んでアパートから飛び出て拾いに行く。
ブログ記事を書いてこの出来事を思い出しましたが出来ればこのまま忘れていたかった。

 

ともかく、朝の10時頃にアルジェリア大使館でビザを発給してもらったパスポートを受け取り後、偶然にも同じ日に海外旅行に出かけるという友人のハジェルとカフェで朝食を取りつつ彼女の出発時間までゆっくり過ごしました。

 

Mak「どこ行くん?」

ハジェル「オーロンに親戚がいるからそこで数ヶ月過ごすわ」

Mak「すごいね。お金けっこうかかるんじゃないの?ビザとかいらないの?」

 

ハジェルの行き先は「オーロン」つまり、フランス語でオランダの意味。
・・・かと思ってたらアルジェリアの「オーロン」でした。
この間違いに気付いたのは数ヵ月後。フランス語読みでは「オーロンドゥ(Hollande)」でしたオランダは。
最初にオーロンって言われた時、脳内変換で「Holland」って考えちゃってフランス語のスペルを考えてませんでした。仕方ないよねオーロンなんてアルジェリアの街知らなかったもん。
道理でチュニジア人なのにオランダにビザ無しでいけるのおかしいと思ってたもん。

 

カフェの外で飲んでいたらその前の通りを友人が通ったので挨拶。イタリア人だったか韓国人だったか忘れたけど。「アルジェリアに行くんだ~」って話したよ。

 
ハジェルはあまり可愛い娘じゃないのでカフェでの話は割愛する事にして、ハジェルの出発時間が近づいてきたのでカフェを出る事に。

 
っとその前にトイレに行こうと思ってカフェの中に入ったら1年ぶりくらいにまた友人と会いました。彼女らは大学の課題をやってました。「アルジェリア行くんだよー」とまたまた挨拶してカフェを出てハジェルをタクシーに送り出す。

 
その後、すぐ目の前のカフェに行って5人くらいの友人たちとまたどんちゃん大騒ぎ。
彼らのうち1人、ラフィクは毎日カフェでたむろってる仲だけど他4人の中には久しぶりに会う人も。
皆でアルジェリアについて雑談した後、私の出発時間が近づいてきたのでラフィクと一緒にタクシーで空港へ向かいました。

 
カルタゴ空港へ着いた後、タクシーを降りて構内に入ろうとしたらチュニスでタバコ売るに登場した悪友のモハメッドと1年ぶりの偶然再会。

「アルジェリア行くんだ~」と挨拶したら「ははは、まさかね」と最後まで全然信じてもらえず。
狭いチュニスとはいえ、ちょっとの時間でここまで多くの知人に会うのは珍しい。
ここで私は強く運命を感じました。(あれ・・・?アルジェリア行ったら死ぬんじゃ??アルジェリア出発当日にアルジェリア行きの航空プランにゴキブリ、おまけに死ぬ前の友人偶然再会の連発?)と伏線張られまくり。

 

不安を感じてはいたものの超現実主義なので目に見えたものしか信じない私にそんなことは大して障害にはなりません。

 

 

アルジェリアエアーのフロントでチェックイン。「お荷物は?」と聞かれて「無いです」と答えたら「はい」とかなり事務的。ちょっと何かリアクションが欲しかった。

 

Tripoli行きの飛行機がけっこう多い。乗ってみる勇気ある?

 

「楽しんできてくださいよー」と手を振るラフィクを尻目にいざ飛行機へ。

 

 

アルジェリアエアーの飛行機はまぁ、普通。
というか飛行機にとくにこだわりなんてないですよね。まだまだエミレーツ、その他って感じです。
ロシアの航空会社は美人すごい多くてよかったけど。

 

 

基本、チュニジア発の飛行機は行き先がヨーロッパでもない限り機内がガラガラの事が多いのですがアルジェリア人が多いのか機内はけっこう満員。

 

機内食のケーキは激マズでした

 

美しき空

 

機内のことはあまりよく覚えてないので大きく飛ばして到着時の感想へ。

到着した首都アルジェーの空港は Houari Boumediene Airport と言います。
入国審査に並ぶ大量の人たち。前の人たちがなにやら入国カードを行列最後尾の近くにある机からとって書き始めました。飛行機内でくれなかったのかー。

かなり人が大勢並んでいたので列から離れたら自分がどこに並んでいたのかさえ絶対わからなくなる。
複数人で来てるなら誰か列に待たせて取りにいけるけど僕は1人で独り。

前のアルジェリア人グループのにいさんに「アレとってきてー」と頼んでとってもらいました。
次どこかの空港に来た時は入国カードがあるか確認して忘れずとっときましょう。

途中、隣の列のフランス人グループが「なんだあの紙は?」「あれ書かないといけないのでは?」「どこにあるんだろう?」と困ってたので「入国カードですよー。書かなきゃダメみたいだからあっちにある奴とってくればいいですよー」と言ったら「中国人か?フランス語うまいじゃないかー!ありがとうな!」と叫ばれました。おじさん声がでかいよ。圧倒されて「日本人です・・・」とボソボソ答えたら周りの人がニマニマ、ニヤニヤしてみてる。やめろ。「日本人なんて珍しいわねー」「何しにきたんだい?」周りも便乗して話しかけるな。やめろ。注目するな。やめろ。

 

何はともあれ入国審査も難なく突破。ビザがしっかり効いてよかったー!

 

 

この空港かなりキレイでけっこう大きい。お祈り部屋もあってキレイな売店もあって・・・、チュニスのカルタゴ空港とは大違いです。

到着時は既に夜で外は真っ暗だったので空港泊。
私はけっこうトイレが近いタイプなので真っ先に探したのはトイレ。
1階にあったトイレに入ろうとすると2人の10歳くらいの兄弟のうちの1人が「それ壊れてるよ~」と流暢なフランス語で声をかけてくる。驚きつつも「じゃあ、他にトイレはあるかい?」と聞くと2階まで通じるエレベーターまで案内してくれ、「この先にあるからね!」と最後まで案内してくれました。

アルジェリア人は子供までフランス語が流暢なのか?それともフランス在住のアルジェリア人の子かな?
と思ったのですが、街の郊外まで出たりすればフランス語はあまり通じなくなります。
ホテル外ではフランス語とアラビア語の使用率は半々でした。

用を足した後、2階にあるベンチでゆっくり・・・。でも6月にも関わらず夜になるとこういう砂漠の国は寒くて仕方ないので0時頃に空港をうろついていたら警備員の人がいたので挨拶。
彼の名をモハメッドといい、2人の娘のお父さんのようです。すぐに打ち解け、気になってた事を色々訊いてみました。

 

Mak「この国は独裁みたいだけど、大統領は好き?」

モハメッド「もちろんだ。国民は皆大統領が好きだよ。」

Mak「中央街まで電車とか走ってる?」

モハメッド「タクシーがあるけど、俺は基本的にバスだね。バスなら50ディナール(50円)で済むから。」

 

会った時は夜中だったにも関わらず2時間も話していました。
彼とはアラビア語で話していたのですが私のアラビア語はチュニジア方言。モハメッドのアラビア語はもちろんアルジェリア方言。アラビア語はそこまで流暢じゃない上に方言もかなり違うので以後もけっこう苦労しました。
「今何時?」でさえ言い方が全然違ったりします。

 

さて、その後はなんやかんやでずっとベンチに座ってほとんど眠れず朝が来ました。
朝の8時頃にATMを利用しようとしたのですがどのマシンに入れても「このカードでは取引できません」と表示されエラーが出る。お金が無きゃ空港からさえ出られないじゃないか!
マシンが使えずイライラしながら歩いてたら怪しい両替屋の男が「両替あるよ両替」と近づいてくるし・・・。(現金を持ってないのでカードでしか両替無理)
仕方ないので銀行の窓口に行って訊いてみたら・・・。

 

Mak「ATMでカード使えないのでここでお金をキャッシングしたいので出来ますか?」

窓口のおっさん「窓口じゃ出来ないよ。ここのATMが使えないなら街のATMから下ろしなさい」

Mak「街までどうやって行けます?」

窓口のおっさん「タクシーとかあるじゃないか」

Mak「タクシーへ払うお金を引きおろす為のATMが使えないでしょ?」

窓口のおっさん「オーウ。(両手を上にあげてポーズ)」

Mak「OK,OK あんがと^^」

 

最後の神頼みでもう一度ATMのマシンを試してみたらなんと取引できた!
外国のATMって時々、取引出来なかったりするから超スリル。

 

だいたい1万円分くらいだけキャッシングしたと思う
しかもアルジェリア旅行中、キャッシングしたのはこの1回のみ

 

 

さっそく空港の外へ出てタクシーの横でたむろってるおっちゃんに訊いてみる。

 

Mak「中央街までいくらー?」

おっちゃん「1500ディナールだよ」

Mak「ちょっと高くない?」

おっちゃん「高くないよハッハッハ笑(そばにいた他の運ちゃんと笑いながら)そんなら1350ディナールでいいよ」

Mak「うーん・・・。とりあえず出発の時間はまだだからちょっと待っててね」

 

だからあまりタクシー乗りたくないのよ。こちらが現地語話してもとりあえず値段吹っかけてみてくるから・・・。
初日に警備員のモハメッドから空港から中央街まで安く出る手段を訊いておいてよかった。

空港からちょっと離れてみると軍人の人たちがいたので訊いてみました。

 

Mak「すいませーん。ここから中央街に行くバスってありますぅ?」

軍人「あぁ、それならあっちの道を左に曲がってまっすぐ進めば中央街行きのバスが出ますよ」

Mak「ありがとうございますぅ。ちなみにおいくらディナール?」

軍人「50ディナールですよ」

Mak「おー、いいですねー。さっきタクシーの人に訊いたら1500ディナールですって」

軍人「ハッハッハ!タクシーの奴らはダメだよ。ああいうのは嘘つきだから乗っちゃダメ」

Mak「そのマシンガンで撃っといてください。それじゃバスで行きますねー。ありがとうございました~」

 

言われた通りに進んでみると、またもや、軍人さんたちの群れ。
その人たちに訊いてみるとすぐそこだよ。と指を指された先を見ると一台のバスが!
バスステーションというよりかはただそこにバスがあるだけ!わかりづら!

 

切符の買い方もわからず、バスの運ちゃんに「お金はー?」と訊くと「あとで大丈夫だよ」と言われる。
そう。アルジェリアでは乗る前とかに払うのではなく走ってる途中で車掌さん?役の人が乗客に行き先をひとりひとり訊いて行き、お金をとっていくシステムなのだ。いちいち窓口に並んで買ったりしなくていいのでこれはけっこう楽。しかも車掌さん、乗客ひとりひとりの行き先を最後まで覚えてたりする。すごい。

 

いよいよ街へ出るぞー

 

以後、バスの窓からの写真を何枚か。

 

この奇妙なパビリオンについては後日たぶん別記する

 

なんだこの建物は

 

 

というわけで50分ほどバスに揺られてついに中央街に到着!
感動のアルジェーで最初の一歩を踏みしめる!
スマフォで写真を撮っていたら上の写真でこっちを向いてる運ちゃんに「どこ行きたいんだ?」と訊かれたので「La Place d’Emir!」と答えたら「それならこっちを行ってこうだよ」と説明してくれる。
着いたばっかりの街なのでそこをこうだあそこをそこだ言われても全然わからないので「ありがとう!」と空返事でお礼。

 

Quand L’Algérie était Francaise (C)

 

この港はフランス植民地時代からまったく変わっていないかなり歴史的なもの。
アルジェリアの古いドキュメンタリーを観れば高確率で出るかも。
現地を歩いていても強い日差しとの古びた建物のマッチングでまさにドキュメンタリー風のレトロ感がそのまま目に直接映りました。

 

 

とりあえず歩いてみる。
この先の冒険記はまた後日アルジェリアカテゴリにて。

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